*浅草十二階*

ASAKUSA JUNIKAI

頂上には、十人あまりの見物がひとかたまりになって、おっかなそうな顔をして、ボソボソ小声でささやきながら、品川の海のほうをながめておりましたが、兄はと見ると、それと離れた場所に、一人ぼっちで、遠メガネを目にあてて、しきりと浅草の境内をながめ回しておりました。それをうしろから見ますと、白っぽくどんよりとした雲ばかりの中に、兄のビロードの洋服姿が、クッキリと浮き上がって、下のゴチャゴチャしたものが何も見えぬものですから、兄だということはわかっていましても、なんだか西洋の油絵の中の人物みたいな気持ちがして、こうごうしいようで、ことばをかけるのもはばかられたほどでございましたっけ。

「押絵と旅する男」 昭和4年6月「新青年」(第10巻7号)


浅草の十二階は正式には「凌雲閣(りょううんかく)」、明治23年の竣工当時は東京のどこからも見えたという浅草のシンボルでした。10階までは八角形にレンガで積んで、11階以上は木造で2階つぎ足しました。そして日本では初めてのエレベーターが取り付けてありました。今思うとかなり不思議な建物だったようです。この「凌雲閣」は残念ながら、現在はその跡形さえ残っていません。大正12年の関東大震災の時に真ん中からポッキリ折れて倒壊してしまったのです。「押絵と旅する男」の内容そのまま、まさに蜃気楼のような建物でした。
左の写真は浅草の田原町にある仁丹ビルです。このビルの上には「凌雲閣」のミニチュアが立っていて、仁丹塔といわれていました。その仁丹塔さえも老朽化がすすんだため、今は取り壊されてしまい浅草十二階の時代はさらに遠くなってしまいました。




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